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酒国漫遊記(Part 28)
2010/07/26 PART 01 | 02| 03| 04| 05| 06| 07| 08| 09| 10| 11| 12| 13| 14| 15| 16| 17| 18| 19| 20| 21| 22| 23| 24| 25| 26| 27| 28
【江戸時代の日本酒ヌーボー】
江戸時代日本酒を扱う問屋が多く集まった町、初期は平河町や新宿だったといわれています。
しかし、中期以降は埋め立てが進んだ新川が中心になり、40件を越える酒問屋が集まっていたそうで、
それぞれが灘を中心とした上方の人気銘柄を競って扱っていました。
そんな江戸中期にはワインならぬ、日本酒の新酒を誰が一番早く届けるかのレースが行われていました。
その名を「新酒番船」。
大坂8軒、西宮6軒の樽廻船問屋が集結し、四斗樽で約2000樽分=約160トンの新酒を積み込んだ後、
一斉に江戸を目指してスタートしたそうです。
今でこそ3時間弱の距離ですが、当時は西宮から新川まで通常は風や天候を見ながら10〜15日かかっていた航路を、昼夜連続航海で3〜4日で届けたそう。最速は2.4日という記録が残っています。
通常は山見という航路で、風などで海が荒れたら直ぐ港に逃げ込めるように、大坂から紀伊半島沿いに
鳥羽まで行くところが、新酒番船はスピードが命。室戸沖あたりまで下りて、黒潮に乗って偏西風を受けて一直線に江戸を目指す航路がとられたそうです。
縁起を担ぐ江戸の人、新酒番船で1着になった酒には通常の5倍の値で取引されたほかに、荷役上の優遇も得られた他に営業上の様々な便宜が与えられたそうです。
当然新酒番船の船頭には金一封、12名位の乗組員は赤い着物が振舞われたそうですが、難破のリスクも省みず、荷主・船主は必至になったようです。
諸説あるのですが有力なのは享保12年(1727年)に始まったと考えられています。お酒の他にも、畿内で取れた綿を積みこんで競争した「新綿番船」というのもありました。
コラム作者:プロフィール
入江啓祐(いりえ けいすけ) 2007年イタリア駐在時代の縁から株式会社Spazio Incontroに入社。 |
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