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ワイン 百一話


モエ・エ・シャンドン 3(Part 3)

2010/01/15 PART 01 | 02| 03

ドン・ペリニヨンに話を戻します。ドン・ペリニヨンのドンとは、僧侶に対する敬称ですが、そのペリニヨン師は20歳の時に、オヴィレールの修道院に酒庫係りとして着任しました。

エペルネの北四キロにあるオヴィレール村のこのベネディクト派修道院は、今も残っています。オヴィレールはぜひとも行ってみたいところでした。あらかじめ修道院見学の希望を出していましたので、モエ社が車を出してくれました。広々としたシャンパーニュ平野を見ながらのドライブは、とても気持ちのよいものでした。
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修道院の中に残る当時の様子を復元した作業場


ペリニヨンが着任した当時のこの地方のワインとは、シャルドネとピノ・ノワールから造られる、軽い味わいの非発泡性のロゼワインでした。シャンパーニュ地方は、とても寒い地方です。ここでは、初秋に収穫し醗酵を始めたマストも、あまりの寒さのためにアルコール醗酵が完全に終了する前に反応が停止してしまいます。まして、マロラクティック醗酵など、容易に開始しません。仕事に精通していなかったペリニヨンは、あるとき誤って醗酵の完了を待たないで早めの瓶詰めを終えてしまった、とされています。
醗酵が完了していない「未完成」のワインを、晩秋に瓶詰めしてしまいますと、思いがけないことが生じます。冬場は何事もなく過ぎます。ですが翌年の春が来て暖かくなると、瓶の中で一時停止していた発酵過程が、再び動き出し、瓶の中で大量の炭酸ガスが発生するのです。発泡酒が出来るのです。
思いがけずに出来た、ピチピチと泡が出て来るワインにペリニヨンは感激したに違いありません。ですが、困ったことが生じました。多くの瓶で、栓が弾け飛んで、中味が吹き零れてしまいました。
といいますのは、ペリニョンが修道院で働き始めたころは、瓶の栓をするのに麻に油をしみこませたものが使われていました。この方式ではしっかりとした機密性が保たれません。発生した炭酸ガスは少しずつ抜けてしまいますし、ガスの発生が大量で急速になり高い内圧がかかると、栓は吹き飛んでしまいます。
そのようなあるとき、たまたま修道院を訪れたスペインの僧侶が使っているコルクの栓に目が留まりました。コルクの栓は機密性が高く丈夫です。ペリニヨンはコルクの栓を使用することで、より瓶の中の気圧の高いワインを手に入れることが出来ました。ただ、しばしば春に発生した大量の炭酸ガスのために、内圧が上がりすぎて瓶が破裂したのです。
一つの瓶が激しく破裂することで、ほかの瓶も連鎖反応的に破損したに違いありません。試行錯誤を重ねたペリニヨンが発泡酒造りの基本を創案したのは、修道院に着任してから八年が過ぎた一六六七年、ペリニヨン二八歳の時でした。
歴史の重さが感じられるオヴィレールの修道院は、写真のような鐘楼と教会を取り巻くように、居住地区、野菜を作る畑、魚を飼える池そしてワインを造る作業場が残っています。
とりわけ私たちの関心であるシャンパーニュ造りの作業場には、当時を偲ばせる農耕用や醸造用の器具が残されていました。修行の一貫としての酒造りに没頭する「黒い僧衣をまとった修道士」の様子が再現されていました。そこは夏でもひんやりとしており、一つの感動を覚える静かな空間でした。



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