ワイン 百一話
オペラとワイン(Part 4)
2010/09/23 PART 01 | 02| 03| 04| 05| 06| 07| 08| 09| 10
ドン・ジョヴァンニは村の男女(百姓娘達)に酒を振る舞っています。そして、「今夜は十人ぐらいはものにするぞ」と意気軒昂です。
ところでドン・ジョヴァンニはこのように息巻いていますが、彼自身はあまり飲んでいないはずです。人にのませて、自分は飲まない。これが、彼の秘訣に違いありません。
というもの、実は、本人が酔いつぶれてしまっては....何かと不都合なのです。
愛だの恋だのに、お酒は必要でしょうか?シェクスピアはマクベスの中でこのように答えを出しています。
マクダフから【お酒を飲んだらどうなるかな?】と聞かれた門番は、【そうさなあ、あの道となると、さかりもつくが、下がりもする。気ばかりはやって、ちっとも出来ねえ。だからよ〜、あの道には酒は二枚舌のいかさま師、つまり、けしかけの、ぶちこわしだよ。】と、『紳士の蘊蓄』を述べております。
なにしろ、昔の門番さんですから、プラトニック・ラブなどという近代的な言葉は通じませんでしょう。この台詞の「お酒を飲んでは、あの道巧く行きやせんねぇ」というのは、きっとシェクスピアは自分の経験を元に、読者に同意を求めているに違いありません。
「曲名は:ワインで酔いつぶれるまで」となっています。では、誰が、酔いつぶれるのかが大切です。ドン・ジョヴァンニは「十人ぐらいはものにするぞ」といいながら、村の百姓娘達に飲ませているのです。
あれ?と思われましたか。確かオペラの中では村の男女に飲ませていたはずだ。そこまで知っている方は特別な通の音楽愛好家です。
いうまでもなく、村の「男女の女」だけに飲ませて、それで計画が進むはずはありません。「男女の男」にはもっと飲ませて、おとなしく寝ていて貰わねばなりません。
そして、ドン・ジョヴァンニ自身はあまり飲んでいません。ここがシェクスピアが読者に同意を求めている「鍵」なのです。
では、何を飲んでいたのかが知りたいところです。
オペラとお酒との関係で、どのようなお酒が合うかという問いに対しては、一つに、曲を聴いたときに受けるイメージから「感性で(フィーリングで)」、答えるという方法があります。
もう一つは、作曲家自身の経歴、作曲したときの時代背景、作品自身の時代背景、登場人物のキャラクター等々について考察します。もちろん、歌曲の内容を理解しなければなりません。それを、作詞家、原作者にまで広げて、最後に一つに結論に絞り込むわけです。理詰めでゆくわけです。
ところで、ドン・ジョヴァンニの『ワインで酔いつぶれるまで』は、大層けたたましい曲です。この曲にあうお酒を、「フィーリングで」答えると、ファミレスでピザ・パイを食べながら飲むコーク・ハイでしょうか。
ですが、これだけですとオペラにゆく甲斐がありません。正解を出しましょう。
結論として、ドン・ジョヴァンニが褒め称えるお酒は、作詞家ダ・ポンテの顔を立てて、「本当はまだ存在していなかっただろう、マルツェミーノ」にしておきたいと思います。
「本当はまだ存在していなかっただろう」のひとことが【秀】の条件です。