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ワイン 百一話


モエ・エ・シャンドン 1(Part 1)

2010/01/13 PART 01 | 02| 03

間違いなく、世界で最も有名な発泡酒に違いありません。それが、エペルネ市にあるモエ・エ・シャンドン社のプステージ・シャンパーニュ、キュヴェ・ドン・ペリニヨン、略してドン・ペリです。

モエ社に着くと、シャンパーニュの父と呼ばれるドン・ペリニヨンの像が訪問者を迎えてくれます。きっと等身大でしょう。だいぶメタボではあります(笑)。Dom Perignon 1638-1715とありますから、当時としては長寿です。ちなみに、彼が生きたこの77年間は、太陽王ルイ十三世と同じです。モエ家はドン・ペリニョンがその生涯を閉じたころには、すでにワイン商として成功していました。
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モエ・エ・シャンドン社の正面玄関に立つドン・ペリニヨンの像


その成功をもとに、クロード・モエなる人物によって新たに発泡酒を作る会社が創立されます。クロードはドン・ペリニョンがシャンパーニュの基礎を確立した、まさにその場所、オヴィレールの修道院跡と修道院が保有していた畑を買い取ったのです。1743年のことでした。
創立の当初からモエ社の顧客リストには、当時の貴族階級や各界の有力者等の名前が連り、クロードの息子の代には、ルイ十五世の寵妃ポンパドール夫人からも愛されたと伝えられています。
モエ社に残る数多いエピソードの中でも、ボナパルト・ナポレオンとの出会いは、特記すべきものです。クロードの孫ジャンレミーは、1779年王立陸軍幼年学校に入学します。そして、そこでコルシカ島からやってきた少年と出会いました。少年の実家はコルシカでは由緒ある家柄でしたが、コルシカ島の訛が強かったため幼年学校ではいじめに会います。それを助けたのがジャンレミー。少年はジャンレミーを兄と慕います。
学校を卒業した後、ジャンレミーは家業を継ぎ、少年はさらに上級の士官学校へ。この少年こそが後のフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトでした。ナポレオンがいかにモエ社のシャンパーニュを愛したか、容易に理解できます。 
1832年、ジャンレミーは息子と娘婿ガブリエル・シャンドンに会社を譲渡し、これ以降、社名がモエ・エ・シャンドン社となりました。



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