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ワイン 百一話


聖書3(Part 3)

2010/12/07 PART 01 | 02| 03| 04

カナの婚礼
 新約聖書、ヨハネによる福音書の第二章では、キリストがガラリヤに行きます。
《三日目にガラリアのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも弟子達も、その婚礼に招かれた。ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った。「ぶどう酒がなくなってしまいました」イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、私となんの関わりがありますか。わたしの時は、まだ来ていません」。母はしもべ達に言った、「この方が、あなた方に言いつけることは、なんでもして下さい」。そこには、ユダヤ人の清めの慣わしに従って、それぞれ四、五斗入る石の水がめが、六つ置いてあった。イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」といわれたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。そこで彼らに言われた、「さあ、汲んで、料理頭のところにもって行きなさい」。すると、彼らは持っていった。料理頭はぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこから来たのか知らなかったので、花婿を呼んで言った、どんな人でも、始めによいぶどう酒を出して、酔いがまわった頃にわるいものを出すものです。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとって置かれました」イエスは、この最初のしるしをガラリアのカナで行い、その栄光を表わされた。そして弟子達はイエスを信じた。》
 有名なカナの婚礼です。このストーリーは、親孝行な息子が滝の水を汲んだらお酒だったという「養老の滝」話によく似ていますね。
 ところで、はじめによい酒を出して、客が酔っ払った頃からは悪い酒にするという話は、半分当たっています。
 確かに、べろんべろんに酔っ払っていては、お酒の味が分かりにくくなりなにを飲んでも一緒です。また、利き酒の時の基本ですが、アルコールを飲んでしまっては、それから後のお酒の鑑定はできません。
 しかし、それとはちょうど正反対の答えもあります。酔っ払い過ぎていない範囲では、お酒は質を少しずつ向上させてゆかなければ、水っぽく感じられて楽しくありません。たとえば、ブルゴーニュの白ワインを飲むときには、まず並のシャブリを飲み、その次にシャブリの特級を飲んでから、モンラッシェのような骨格のしっかりしたすごい白ワインを飲むものなのです。この流れはバランスがよく、味わいが確実に向上してゆくさまを楽しむことができます。
 はじめにモンラッシェを飲んでしまうと、その後から飲むワインがシャブリでは、なんとも物足りなく感じられて、折角のワインが可哀相ということになりかねません。



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