ワイン 百一話
聖書2(Part 2)
2010/11/30 PART 01 | 02| 03| 04
第九章で神は、地上のすべての生き物に対して《すべて肉なる者は、もはや洪水では再び滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起こらないであろう》と約束します。この契約の証として、天と地の間におかれたものが虹だったわけです。
そのつもりで虹のことを考えると、たしかに虹が出た直後から激しい雨が降るとは思えませんし、「あっ、見て見て、虹だ」という、あの嬉しい感情がよみがえります。
箱舟からノアと一緒におりた子らは、セム、ハム、ヤペテです。いよいよ、ワインが登場します。
《さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいる二人の兄弟に告げた。セムとハムとは着物を取って、肩にかけ、後ろ向きに歩み寄って。父の裸を覆い、顔をそむけて父の裸を見なかった。やがてノアは酔いが醒めて、末の子が彼にしたことを知ったとき、彼は言った。「カナンは呪われよ、彼はしもべとなって、その兄弟達に仕える」、また言った。
「セムの神、主はほむべきかな、カナンはそのしもべとなれ。神はヤペテを大いならしめ、セムの天幕に彼を住まわせられるように。カナンはそのしもべとなれ」》
自分が酔っ払っておきながら、それを棚に上げてそこまでいいますかとも思いますが、まあ、聖書の中の話ですから。そして、これが人間が犯した第三の過ちとされています。
ノアのこのエピソードを絵画にしたものが、バチカンにあるそうです。修道士達はその絵を見て、決してノアのような恥ずかしい真似はすまいと心に誓うにちがありません。いつの日か、実物を見てみたいと思っています。
フランスの友人達との食事会で、お酒に酔っ払った誰かが大声を出していたとか、酔っ払って人にからんでいるような場面を見かけたことは、一度たりともありません。いわゆる飲み会があっても、大和式の「俺の酒が飲めないというのか」とか「一気に飲め」というのもありません。
かの地では、どうやら人前で酔っ払うのは恥ずかしいことのようです。その根底にはノアの逸話があるのかもしれません。
ちなみに、カナンの子孫が作った町がソドムとゴモラ、第十一章になるとバベルの塔が出てくるのです。