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シャトー・コス・デストゥルネル(Part 2)

2010/03/25 PART 01 | 02| 03

2003年のことです。やはり今年は凄い年でしたか、と月並みな質問をしてしまいました。当然の答えですが、凄い年であったこともさることながら、世界中が今年のボルドーは凄いといっているので、万に一つもへまをしては一大事だと、そればかりが心配でしたと本音を話してくれました。

収穫は、メルローとカベルネ・フランが9月12日から5日間、そしてそれに引き続いてカベルネ・ソーヴィニヨンの収穫が一週間かけて行われました。今年の最大の特徴は、あまりの晴天の続きのために、果実の水分が少なくなり、平年ならば一ヘクタール当りの収穫量は50hL(約6700本)であるのに、今年はそれが30hL(約4,000本)しかなかったことでした。
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室内の装飾品は、まさにインドの影響そのものです。


別のワイナリーで聞いた話でしたが、確か、今年は雨が少なかったために、ぶどうの直径が平年だと11mmなのが、今年は9mmしかなかった由でした。紙と鉛筆で計算しました。直径のこの違いは、体積比にすると、なんと1対0.55・・・・でした。やはり、例年の6割未満の収量しかなかったのです。
ですが、すばらしい、高い値段がつく上質のワインが、しかるべくできたに違いありません。
シャトー・コス・デストゥルネルには、小さな博物館(資料室)があります。見学させてもらいました。そこで、アハハと笑ってしまったのですが、中にはヨーロッパのシャトーのイメージとは程遠い、エキゾチックな記念品がどっさり陳列されていました。
その最たるものは、象の彫刻です。何でも、このシャトーの初代様がインドに行き、すっかりその魅力に取り付かれたとか。
シャトー・コス・デストゥルネルの初代オーナーは、1762年に生まれ、1853年に91歳で没しています。当時の人にしては、例外的に長命な方です。
それはそれとして、なんと、彼の名前はルイ・ガスパール・デストゥルネルなのです。初めてそれを知ったとき、あまりにも珍しい名前なので、しばし信じられませんでした。筆者はフランスで4年以上臨床医学に携わっていましたので、いろいろな患者さんの名前に接する機会がありました。ですが、デストゥルネルさんは知りませんでした。
で、そのルイ(初代さん)は1811年に現在のシャトー・コス・デストゥルネルとなっている畑を入手します。当時のエティケット(ラベル)には盾を持つライオンと一角獣がメインキャラクターで、その下に、「私が造ったシャトー・コス」と書かれてあり、デストゥルネルの署名が添えてありました。
ワインは世に出るや瞬く間に高い評価を獲得し、東インド会社が活躍していたインドにまで輸出されたとあります。
成功を収めたルイは、サン・テステフのマハラジャと呼ばれるまでになります。エキゾチックな建物が建てられたのはこの当時です。
1855年、シャトー・コスはメドック格付け2級に列せられます。ワインは、ヴィクトリア女王、ロシアのツァー、ナポレオン三世そしてスタンダールやカール・マルクスにも愛されたと書かれています。



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