ワイン 百一話
シャトー・ラグランジュ(Part 2)
まず、シャトーの全景を見てくださいといわれ、しばしの散策と相成りました。なんと珍しい、竹林があります。「あっ、竹、フランスでは珍しいですね」と感想を述べますと、「多少とも日本的な雰囲気が、一箇所くらいあってもいいのではと考えて植えたようです」とのことでした。そういえば、サントリーがこのシャトーの再生発表をする直前には、なにやら怪しげな東洋的飾りがあちこちになされていたらしいが、全て取り払ったと聞いたことがあります。
フランス人従業員がオーナーの国である日本国に敬意を払ったつもりだったらしいのですが、ここはフランスだからというサントリー側の見識が優先されたとのことでした。ボルドーのシャトーの中に、仮の話ですが、半纏の背中に金糸でドラゴンの絵が刺繍されているようなものが飾られていたら、サイアクです。 |
||
庭園から見てはじめて分かるシャトー・ラグランジュの端正で美しい姿 |
周囲に花があしらわれている、小さな池の前に立ちました。そこからは、写真でご覧頂いている通りの、エレガントなシャトーが見えました。
シャトーの周りには手入れされた素晴らしい畑が広がります。ですが、サントリーがこのシャトーを手に入れたとき、最盛期には300haもあったシャトー・ラグランジュのテリトリーは157haしか残っていませんでした。くわえて、醸造設備は旧式、従業員は13人のみと、メドック三級シャトーとしての体裁を全くなしていない、ひどい状態だったのです。
サントリーはすべてを、それも可能な限り早く作りかえることを第一の目標として、醸造学者エミール・ペイノー博士に協力を要請しました。博士はボルドー大学でワイン醸造研究所長を務めていた、フランス随一のワイン学者です。この時にはすでに伝説的ともいえる、シャトー・マルゴーの再生を達成していました。博士はサントリーの依頼を受諾します。
館、庭園、畑、醸造所、貯蔵庫のすべてが徹底的に手を加えられました。
シャトーにはその昔の半分しか畑が残っていませんでしたが、実は、この残されていたところは素晴らしい土壌でした。とはいえ、1983年の時点で、原産地呼称AOC証明のついた畑113haのうち、実際にぶどうが植えられていたのは56haのみでした。しかも、品種はメルロ種がほぼ半分であり、カベルネ・ソーヴィニヨン種を主体とするメドック地区の特徴とはかけ離れていました。
そこで1985年に本格的に実行されたぶどうの樹の植え替えでは、カベルネ・ソーヴィニヨン種の比率を高めるとともに、ボルドーの伝統的品種であるプティ・ヴェルドの植え付けも進められました。