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オスピス・ド・ボーヌの誕生(Part 3)

2009/10/24 PART 01 | 02| 03| 04

オスピス・ド・ボーヌは1443年、ブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボンの大法官であったニコラ・ロランのその妻ギィゴーニュ・ド・サランが私財をなげうって創立した、「貧者の病院」です。貧しい人たちの救済を目的として設立した、慈善病院(オスピス)であったわけです。

キリスト教的な理念に基づく病院の場所が、ブルゴーニュというワインの名醸地であったことは大いに幸いでした。創立者のニコラ・ロランは、率先してブドウ畑をオスピスに寄進させ、そこから採れるワインの収益で病院を賄ったのです。この思想は彼らの後を引き継いだ人たちにより、何百年にもわたって続けられ、ついにオスピスはブルゴーニュでも最高のワイン生産者のひとつとなります。
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1970年代のインフルエンザ大流行の時には、大勢の患者がオスピス収容されました。その時には、昔からあるこの厨房は、そのまま使用可能だったのです。


現在、オスピス・ド・ボーヌが所有する畑は60haを超えます。この広さは、全クロ・ド・ヴージョ(50ha)よりも広く、ボルドーのシャトー・ピション・ロングヴィル・コンテス・ド・ラランドとほぼ同じです。小さな生産者が多いブルゴーニュにおいては、このオスピスはまさに大手のワイン・メーカーになります。 
ですが、ワインの醸造施設がないので驚きます。じつは、オスピスはとても高級なワインができる素晴らしい畑を数多く持っていますが、ワイン造りは地元の生産者たちに委託しています。たとえば、ポマールというワインを欲しいひとは、オスピス・ド・ボーヌのオークションでポマールを競り落とした後、その権利を例えばブシャール社に渡してワインにしてもらうのです。
もちろん競り落とすには、樽単位で買わねばなりませんでしょうし、できたワインは必ず引き取らねばなりませんので、二、三本欲しいというささやかな夢は叶いません(笑)。



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