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教会でそして病院(Part 2)

2009/10/24 PART 01 | 02| 03| 04

「いや、病院で、教会だよ。なんだ、おまえはオスピス・ド・ボーヌを知らなかったのか、ヤレヤレ。」(マイッタナァ・・・:心の声です)。

オスピスはボーヌ市のほぼ中央にあり、広い中庭の四方を四階建ての居住区域などで囲んだ建物です。
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両側にある赤いコーナーは、患者用のベッドです。寝たままの姿勢でミサを受けられるように配慮されています。


いまでこそワイン愛好家の間でつとに名高いオスピスも、そもそもは「やはり」ボーヌ市民病院のことであり、創立当初からワインのオークションをしていたわけではありません。
その意味では、私がオスピスを教会だともワインに関連する施設だとも知らなかったことは、それ程恥ずかしいことではありません(本人のいいわけです)。
「オスピスっていうから、病院と思ってたけれど」というと、「いや、その通りだよ。このオスピスは、中世ではこの辺りで一番よい病院だったんだ。実は、1970年代にブルゴーニュ地方でインフルエンザが大流行して、この近辺の病院が全て満床になったときには、沢山の患者がここに収容されたくらいなのだから」。
へぇ〜、こんな酸素用の配管も吸引の設備もないところで、とは言いませんでした。ただ、その場にした医師や看護師達は、きっと苦労しただろうなと同情しておりました。
1971年を最後に、オスピス・ド・ボーヌは長い歴史を持つ病院としての機能に終止符を打ちました。現在はケア付きの老人ホームのみが残されています。
実際に訪れてみて、なるほどと納得できました。
オスピスの中は中世当時のままに保存されています。広い礼拝堂の中には、ベッドが左右の壁沿いに、縦一列に、間を開けずに並べられています。毛布の色は真紅で、真っ白いシーツとのコントラストが実に美しく、まるで絵はがきを見ているようでした。病人が寝たままで、ミサを受けることができるようにと配慮されたベッドの並べ方は、オスピス・ド・ボーヌがまず病院であり、同時に、まさにオスピスのための場所であったことを物語っています。ちなみに、この礼拝堂は幅14m、奥行き50mでした。



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